子どものような視線で観たままを
西洋芸術の歴史をたどっていくと、教会関係の宗教画から次第に肖像画、そして風景画へと移っていくのがわかります。移ると言うよりは、広がっていくと表現するほうがよいのかも知れません。多様性が受け入れられる時代になってきたということなんでしょうか。たとえばディア・レインドロップなどの作品が18世紀や19世紀に存在したら、それこそ文化の権威筋からバッシングを受けて追放されていたでしょう。ピカソの目が一つ足らないような絵も同じ憂き目に遭っていたに違いありません。
時代が進むにつれて、社会構造にがんじがらめにされていた倫理観や審美的な知識が、世界が大きく変わっていく時代にエネルギーを備蓄しながら、大地震のように天地を揺るがすタイミングを狙っていたような感じがします。
ディア・レインドロップの絵などは、幼稚園の子どもでも描けるようなと表現されがちですが、幼稚園の園児が描く絵は単純で芸術的価値がないと誰が断言できるでしょうか。おとなは学校や社会で教え込まれた知識や常識で武装しすぎてしまって、自然のまんま物事を見るなど、実はできなくなってしまっているんです。園児の方がよっぽど自由な表現ができるんですね。